おもいで

思い出横丁

新宿駅西口にある戦後のヤミ市の記憶を残す、エアポケットのような場所。
なぜか此の場所には、公衆便所がなかったことから、「小便横丁」の俗称がついた。
ぼくも、その呼び方のほうが、しっくりとする。

去年の暮に、ブラバン仲間の同級生が突然亡くなった。
何年もあっていなかったけど、これからは、会おうよ…。そんな矢先だった。

およそ、若者が興味のあることで、親が教えてくれないことがある。
不良のたしなみみたいなこと。酒、タバコ、パチンコ、マージャンなどなど…。
それらは彼にふきこまれた。そして、お洒落も。

Jun&Ropeなんてのをまず教えてもらった。
お通夜であった彼の父上もダンディー。男前の遺伝子を受け継いでいたのですね。

背伸びしたがりの10代、流行りの服を着て、ディスコに通う彼は、颯爽としていた。
ぼくは、家で「ソウルトレィン」という番組をみながら、彼を羨んでいた。
行動的な彼が、さびしがり屋だと気がついたのは、何年もしてからだった。

彼からの呼び出しは、いつも「小便横丁にいるから出て来いよ」との電話。
小銭をにぎりしめ、3階建ての純喫茶で待つ彼のもとへ。
ショートホープを吹かしながら、「腹減ったから。メシ食おうぜ」と向かうさきが、定食屋。
家庭の総菜のような、メニューから好きなものを選ぶ。
独特な街の雰囲気になれてくると、うまさがわかるようになった。
なぜ何時も、食事にさそってくれたのか、聞いたことはなかった・・・。
「お前といると、なんかホットする」と言ってくれたのは憶えているよ。

定食屋、焼き鳥屋、居酒屋、などがひしめくバラックの街並み。
1999年に火事で相当焼失したが、今は復興している。
新宿の中で、こことゴールデン街は、昭和の匂いが充満している。
まるで映画のセットのような場所だ。

思い出横丁、どこの店も、オープンなので入りやすい。
ぼくのおすすめは、「ラーメン若月」。ここは、本物の東京ラーメンを出すお店。
ふところに優しい所ですので、お気軽にのぞいてみてください。

呼び出してくれても結構ですよ…
彼のように…

OmoideWakatsuki

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ワシントンハイツ

明治神宮の側にワシントンハイツという、住居があった。
鉄筋コンクリートのアパート。そこは、以前、東京オリンピックの選手村だった所。
もっと前は、進駐軍の将校が住んでいた所。
今の代々木公園には、ゆったりとして広い住居が建ち並んでいた。
アメリカンスクールもあり、まだアメリカの夢にあふれていた時代だったのでしょう。
そう、こんな都心の真ん中に、フェンスの向こうのアメリカがありました。

日本は、敗戦を経験した。
厚木基地にレイバンのサングラスとコーンパイプをくわえたマッカーサーが降り立ち。
この国を占領していた時代があった。

でも、なぜだろう?親からも、いやな話を聞いたことがない。
むしろ、好意的なことばかりが、目に付くのは・・・。
どうしてだろうか?

ぼくら音楽好きにとって、フェンスの向こうからの影響は、とても大きい。
こういうアメリカ軍の基地の中には、将校クラブがあり、そこでは、ジャズが演奏されていた。
のちの日本の音楽界をリードしていくミュージシャンが、数多く生まれた。
東京の中からは、フェンスは消えたけれど・・・。
そんな昭和の記憶。まだ、かすかに街の中にはのこっています。

新宿のとなり、新大久保には、楽器屋が多く立ち並ぶ。
そのなかの、はしりの店が、1940年創業の高橋管楽器。
戦後は、丁寧な仕事が認められ進駐軍のバンドマンの楽器の修理を一手に引き受けた。
親戚の石森氏も呼び、路地の向かい合わせで、管楽器の修理店を営んだのがルーツ。

昭和情緒あふれる路地にあるお店。のぞいてみると、素敵な職人さんが黙々と仕事をしていました。

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たいやき

こどもの頃は、縁日の思い出。それなりにおいしかったんだけど・・・。
だんだん、生意気になってきて、忘れかけてきたときに、
「およげ!たいやきくん」の大ヒット。

シングルレコード、500万枚以上を売り上げ。Oyoge_2
いまだに、この記録はやぶられていない。
印税契約ではなく、買取契約だったため、歌手の子門真人は、
5万円しかもらっていないというのは、有名な話しですね。

学生のころ、ガッチャマンというニックネームの後輩がいました。
宴会や集会で、必ずガッチャマンのテーマソングとおよげたいやき君を歌う。
そのときはじめて、ガッチャマンも子門真人の歌だと知りました。

しばらくして、80年代に、自分も就職しましたけど、
はじめての仕事場が、麻布にありました。
いまでもそうでしょうけど、高級住宅街でしたね。

広尾から、有栖川宮公園の坂をのぼり、
篠山紀信さんのお宅の前を通って、仕事場に通っていたのです。
よく、奥様の南沙織さんが、外にでてこられたのを目撃しました。

あそこは、昔、田宮二郎の自宅だったとか・・・。

有名人のお宅がたくさんあるところなんです。

そして、通称、暗闇坂を下ったところに、麻布十番があります。

当時は、開発から取り残された、不便なところでした。
そんな商店街の一角に、浪花屋が、ありました。

およげたいやき君の歌のモデルとなったお店として有名で、
話し好きで人懐っこい、髭のおじさんが、本当に楽しそうに、
たいやきを焼いてくれました。

Photo_2 うちのは、しっぽまで、餡子が入っているだろう。
やきそばも、おいしいよとすすめてくれました・・・。

この味は、何かがちがうと思いました。
たいやき一つでも、心をこめて作る。

その姿勢が「おじさん素敵だよ」と、
心のなかで、くりかえしながら、ほおばっていました。

いまは、なつかしい思い出です。

こんど、あのあたり、散歩にでもいきたいな。

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